上信電鉄

高崎-下仁田

 33.7km)

高崎より南西方向へ。世界遺産となった富岡製糸場のある上州富岡を経由し、珍駅名として知られる南蛇井を通り、こんにゃくの産地でもある下仁田までの33.7kmを結ぶ路線です。列車本数は日中でも1時間に1-2本の列車があってそこそこの頻度を確保しています。

↓以下の全ての写真は、クリックすると拡大して見ることが出来ます。
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上信電鉄 高崎-下仁田 33.7km

高崎

たかさき

高崎駅0番線の行き止まりのホームより発車。両側にホームのある構造をしているが、訪問時には写真右側のホームだけで乗り降りを扱っていた。

乗換(JR) 上越新幹線北陸新幹線(東京-上越妙高)高崎線信越本線(高崎-横川)上越線両毛線吾妻線八高線(高麗川-高崎)

上信電鉄入口

JRの改札口とは分かれて、一旦高崎駅ビルの外に出た1階に上信電鉄の駅の入口が設けられていた。入口付近には観光名所への最寄り駅の案内と時刻表があった。時刻表を見ると、列車本数は日中でも1-2本が確保されていてそこそこの頻度を確保していることがわかる。

駅入口から上信電鉄ホームまでは離れていて、今は使われてない1番線ホームと柵で仕切られた通路を100メートルほど歩いていく構造。自動券売機や改札口はその先にあるホームの手前にある。

ホームの手前にある鉄道むすめのパネル。富岡製糸場にちなんだ名前だと思うが「しるく」という名前も強引なような。

待合室電車

高崎駅のホームの先端の方にあった待合室電車。行きにはすぐに電車に乗ってしまったので存在に気が付かず、帰りの電車から降りた時に気が付いた。中は車内を改造した休憩スペースや自動販売機などがある。電車が到着した直後に立ち寄ってみてもさすがに誰もいなかった。

高崎を発車

そして高崎駅を発車して、行き止まりの高崎駅ホームを後にする。

どこか別の場所でお目にかかったことがあるような車両もちらほらといる車庫の脇を通り抜けて、列車は進んでいく。

1999年の上信電鉄

1999年に初めて上信電鉄を訪問した時のスナップ。この時は@nifty旅行フォーラム主催のオフに参加していて、デキ1とデキ3という電気機関車に電車が引かれて進むという貴重なイベント列車に乗って下仁田までの行程を旅したのであった。

南高崎

みなみたかさき

駅名の通り、ちょうど高崎の真南にある。地図で見ると高崎線もまだそれほど離れていない位置にある。ここから路線は一旦、川沿いに南東方向に進む。

佐野信号場
さの

上越新幹線の高架の真下にある信号場。周りに住宅も結構あるけど駅は無い。

さすが列車本数多めの上信電鉄、行きも帰りも対向列車とすれ違った。ホームは無いが、乗務員が出入りするための小さな乗降スペースが新幹線高架線の支柱の袂に設置されている。

佐野のわたし

さののわたし

2014年12月開業と上信電鉄の中では一番新しい駅。地元の要望による請願駅で、先ほど通り過ぎた佐野信号場の近くにある。駅を出るとすぐ烏川を渡る。

駅の背後を通る上越新幹線の高架線。佐野信号場で上越新幹線の高架線を潜り抜けたが、この駅到着前にもう一度高架線の下を通り過ぎる。

烏川を渡る

まっすぐ続く線路1本の鉄橋を渡っていく。「佐野のわたし」の駅名はかつてこの川に渡し船があったことによるそうで。

根小屋

ねごや

烏川を渡って田んぼの景色を走って駅に到着。ここから山名まで再び列車は南東方向に走っていく。

高崎商科大学前

たかさきしょうかだいがくまえ

2002年開業。駅名となった高崎商科大学は駅の北東方向へ400-500メートルほど、烏川の方向へ歩いて行った先にある。

山名

やまな

島式ホームに、何故かキャラクターの顔が描かれたベンチが一つ。カッパかと思ったが「ぐんまちゃん」だなこれ。

列車から撮影した山名駅の駅舎。

西山名

にしやまな

こちらは屋根付き待合室とお手洗いが備え付けられているホームが1本。

馬庭

まにわ

かつてJR東日本の路線で107系として走っていた700型の列車とすれ違う。

列車の車内からすぐ近くに見えた駅の出札・改札口。上信電鉄は途中駅も結構有人駅(時間帯限定の駅も含む)が多い印象。

鏑川を渡る

鏑川を渡る。この川とは近づいたり離れたりしながら、終点までずっと並行して走っていく。

吉井

よしい

鏑川を渡って到着。かつてはここから高崎市とは多野郡となっていたが、今ではまだ高崎市が続く。

島式ホームと駅舎を構内踏切でつなぐスタイルは、上信電鉄ではよくあるスタイル。

西吉井

にしよしい

ホームから無人の改札口を介して続く、大きな屋根のついた壁の無いコンコースが印象的。

天引川を渡る

鏑川の支流を鉄橋で渡る。

新屋信号場
にいや

上州新屋駅手前の、田んぼの真っただ中にある信号場。対向列車が無いと上りも下りも直線側の線路を進むので、信号場があることに気が付かない。

上州新屋

じょうしゅうにいや

高崎市を出てここから甘楽郡へ。下仁田行きの列車の最後尾から撮った駅のホーム。駅の先にさっき通ってきた新屋信号場が見える。

上州新屋駅の改札口と駅舎。出札窓口はあるが無人駅だった。

上州福島

じょうしゅうふくしま

250型列車とすれ違う。水色+クリーム色のツートンカラーといういでたち。

駅構内に留置されていた茶色の車両には「祝富岡製糸場 世界遺産登録」の文字が刻まれていた。

2度目の鏑川を渡り、ここから富岡市へ入る。

東富岡

ひがしとみおか

三角屋根と時計台の付いた駅舎が印象的。富岡製糸場をモチーフとしているらしい。駅の近辺には何社かの工場がある。

上州富岡

じょうしゅうとみおか

世界遺産に登録された富岡製糸場の最寄り駅。駅舎も中間駅の中では一番大きい。地図で見ると富岡製糸場までは南西方向へ歩いて700メートルくらい。

西富岡

にしとみおか

線路1本、ホーム片面の無人駅。ホームはやや広め。

西富岡駅駅舎と改札口。小さい駅舎だが業務委託駅。

上州七日市

じょうしゅうなのかいち

プラットホームの屋根を新設中だった。

鏑川が最接近

上信電鉄戦と距離を保って流れていた鏑川がこの辺りで線のすぐそばまで迫ってくる。

上州一ノ宮

じょうしゅういちのみや

列車交換可能な島式ホームの駅。

ホーム越しに見る上州一ノ宮駅の駅舎。

神農原

かのはら

駅名の読みに戸惑うが「かのはら」と読む。トロッコ列車の車両のような形の待合室があった。

南蛇井

なんじゃい

「なんじゃい」と読む珍名の駅として知られている駅。所在地も「富岡市南蛇井」となっている。駅自体は至って普通な感じ。

列車のすぐそばに見える駅の改札口と事務室付近。時間限定だが有人駅。

南蛇井駅を後にする。

千平

せんだいら

終点の一つ手前、高台にある待合室が一つだけの無人駅。

千平駅ホームは、隣接する道路から階段を登っていった先にある。

赤津信号場
あかつ

終点の前にある信号場。もうすぐ終点なんだからここに信号場を作らなくても・・・と思ったが、この信号場を過ぎてから下仁田までが2キロ以上もあって延々と山道を走っていくこととなり、必要性を納得した。

下仁田

しもにた

高崎から1時間余りで終点下仁田に到着。終点のひと区間は信号場を挟んで3.8キロの道のりがあり、山の中を車体を揺らしながら走っていった。

下仁田駅駅舎

下仁田駅の昔から変わらない佇まいを見せている駅舎。ホームから駅舎へは、行き止まりの線路の先を横切るように造られた通路を歩いていく。

駅舎内部の様子。壁は広告やポスター、時刻表などで埋め尽くされていて活気があふれる感じ。

1999年の下仁田駅

そして時代は遡って1999年の下仁田駅。デキ1とデキ3に引かれたイベント列車が下仁田駅に到着した風景。

そして列車は留置線に入り、機関車のペアは列車から離れたのだった。

1999年に初訪問した時の下仁田駅駅舎。佇まいは2020年とでほとんど変わっていない。






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