JR東日本 

内房線

千葉-安房鴨川

 123.2km)

千葉駅から房総半島を東京湾沿いに走り、千倉から外房に出てもなお路線は続き安房鴨川に至る路線。君津あたりまでは今やすっかり東京への通勤圏。ちなみに1972年までは房総西線と呼ばれていました。

外房線千葉-蘇我3.8km
内房線蘇我-安房鴨川119.4km
↓以下の全ての写真は、クリックすると拡大して見ることが出来ます。
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内房線 千葉-安房鴨川 123.2km

外房線との共用区間 千葉-蘇我 3.8km

千葉

ちば

内房線の戸籍上の起点は蘇我でも、蘇我発着という列車は1本も無い。普通列車は千葉駅始発、快速は総武線か京葉線から乗り入れている。千葉駅は3、4番線が内房線の発車番線。普通列車は元・京浜東北線の209系2100番台が使われている。

乗換(JR) 総武線(快速)総武線(各駅停車)総武本線(千葉-銚子)外房線成田線(千葉-銚子)
乗換(私鉄) 千葉都市モノレール1号線千葉都市モノレール2号線京成千葉線(京成千葉駅)
新駅舎オープン

長らくの工事から一部完成した千葉駅新駅舎のオープン初日の様子。今まで1階だったコンコースが3階に上がって千葉都市モノレールの駅とも直結。駅の様子が一変してしまった。

ホームに降りるエレベータの上に掲げられている番線案内とLEDの発車案内。遠くでも見えるようになのか、とにかく大きいのが印象的。

一時期普通列車に使われていた211系3000番台の列車。今は姿を消してしまった。

特急さざなみ号

今はこの車両も使われなくなった。東京行きさざなみ号は蘇我から京葉線を回るので千葉にはやってこないが、新宿行きの列車だけ千葉に顔を出すようになっている。

内・外房線ホーム

総武線各駅停車のホームから見た内房線と外房線のホーム。千葉駅は構造上、下り側が二股に別れる形になっている。写真に写っているのはこれまた今は千葉から引退した113系。

本千葉

ほんちば

蘇我

そが

かつては快速も停まらなかった駅が京葉線開通、特急停車、ショッピングモール「Dila」の開業を経て次第にパワーアップ。個人的には学生時代、長距離切符を買う時に窓口の職員さんが親切だった思い出がある。写真は京葉線の並んで停車する内房線の特急「新宿さざなみ」号。

乗換(JR) 外房線京葉線総武線(快速)
下車 フクダ電子アリーナ・ハーバーシティ蘇我へ

ジェフ千葉の本拠地となってからは駅のデコレーションのジェフ化が進み、駅の入口もご覧の通り。列車の発車メロディーはジェフ千葉のオフィシャルソングとなっている。

ジェフィとユニティ

ホームへの階段の上に取り付けられているジェフィとユニティのパネル。

浜野

はまの

千葉市中央区にありながら何処と無く閑散とした雰囲気がぬぐえなかった浜野駅も2009年から快速が停車。気がつけば以前よりもずいぶん周りに住宅が増えたような気がする。

八幡宿

やわたじゅく

ここから市原市。今はほとんど各駅停車になってしまった快速だが、早くから市原市内3駅にはきっちり停車していた。

ホームに停車中の今は姿を消した211系の普通列車。

お座敷列車の展望席から見た八幡宿駅。

八幡宿駅の旧駅舎

現在の駅舎ができる前の旧駅舎の写真。駅前ロータリーから少し外れたところに駅舎が建っていた。旧駅舎から新駅舎に切り替わった日の写真は、こちらにて。

走行する列車

八幡宿から五井にかけての直線区間を突っ走る普通列車。

同じ区間を走る快速列車。快速列車と言っても内房線内の通過駅は巖根だけ。

そして上の写真の快速列車とともに、今の内房線の主役となっている209系普通列車。

SL内房100周年記念号

内房線100周年を記念して2012年2月に内房線を走ったSL。沿線はSL見物&撮影の人たちで賑わっていた。SLが通過した後の煙がすごかったこと。この2時間ほど前に通過した上り列車は、ディーゼル機関車が先頭車両でSLは最後尾で引っ張られていくというスタイルの運転だった。

四季島

2018年の元日、クルージングトレイン四季島が五井-八幡宿を通過する様子。(2018/01/01)

五井

ごい

市原市の代表駅でありつつ駅名は市原でない。小湊鉄道の分岐駅で内房線とやや離れたホームからディーゼルカーが発車している。

乗換(私鉄) 小湊鉄道

五井駅駅舎。

姉ヶ崎

あねがさき

2面4線のホームを持ち、列車の退避や折り返しが可能な駅。わずかだがこの駅どまりの列車も存在する。

夕焼けに染まる京葉臨海工業地域の風景。

長浦

ながうら

平日朝の長浦駅。上り線に京葉線通勤快速の東京行きが停まっている。

袖ヶ浦

そでがうら

東京ドイツ村に遊びに行くときに下車。駅の隣に大きなショッピングセンターが建設予定だったが、訪問時はまだ更地だった。

袖ヶ浦駅の駅舎。写真がちょっとピンボケ。

巖根

いわね

内房線複線区間では珍しい対向式ホームの駅。総武線快速が内房線内で唯一通過するが、かつては長浦や袖ヶ浦は通過するのに巖根には停車するという快速が存在していたこともあった。なお、京葉線の快速列車は停車する。

木更津

きさらづ

かつては東京近郊区間の末端の駅で、この駅止まりの快速列車や普通列車が多かった。今はほとんどがお隣の君津まで運転している。久留里線ここから分岐している。写真は2015年3月から2017年まで走っていた特別快速列車で、館山行きだが木更津から先の館山まで行くのは15両のうちの4両だけ。

乗換(JR) 久留里線

君津へ向かう特別快速列車の最後尾から撮影。切り離された11両の方の車両が、留置線に停まっている。

木更津駅駅舎

木更津駅の駅舎。木更津駅は「証城寺の狸ばやし」で有名な証城寺の最寄り駅で、駅前には狸が逆立ちした「きぬたくん」の像があった。

2000年の木更津駅

2000年訪問当時の木更津駅。特急さざなみ号はまだ183系で運転されていた。

君津

きみつ

一部を除き快速列車全てと普通列車の多くはこの駅止まり。ここから先は線路も単線となり、通勤路線からローカル線へと雰囲気が一変する。

青堀

あおほり

青堀駅通過中の列車の最後尾から撮影。駅は屋根なし島式ホームと駅舎が跨線橋でつながっているというスタイル。

大貫

おおぬき

下り列車待ち合わせのため停車中の上り列車を撮影。

大貫駅の駅舎

東京湾観音

列車の車内から見える観音像。富津市にあり、高さは56メートルある。

佐貫町

さぬきまち

マザー牧場への最寄り駅で、駅前よりマザー牧場行きのバスが発車待ちをしていた。特別快速列車は君津の次にこの駅に停車していた。

乗換(バス) バスでマザー牧場へ

こちらは千葉行きの上り普通列車。

佐貫町駅改札。駅員配置駅で、改札口には簡易Suicaが設置されていた。

対向列車待ちのため少しの間停車したお座敷列車「ゆう」。ホームに出て夕暮れ時の風景を撮影。

上総湊

かずさみなと

朝の京葉線経由の通勤快速列車がここまで乗り入れてくる。

上総湊駅を出て湊川を渡る手前で見かけた橋脚の跡。橋をかけ替えた名残だろうか。

湊川

湊川を渡る。すぐそばに河口と海が見える。

竹岡

たけおか

このあたりからさらに景色がのどかになる。竹岡は対向式ホームの駅。写真右は下り線の方のホーム。

竹岡から浜金谷の間で、西側の車窓いっぱいにの景色が広がる。

浜金谷

はまかなや

鋸山と東京湾フェリーの出る金谷港の最寄り駅。

休日に運転される新宿発の特急新宿さざなみ号。平日はお客を車に取られて特急列車が全滅してしまったが、休日の特急列車からは多くの観光客が降りた。

夕暮れ時の浜金谷駅

夕暮れ時に訪れた浜金谷駅。跨線橋から見た東京湾の夕焼けがきれいだった。ただ、タッチの差で日没後だったのが残念。

B.B.BASE

日没後の浜金谷駅で列車を待っていたら通過列車のアナウンス。特急列車はみんな言って閉まった後なのに・・・と思ったらB.B.BASEが通過。両国駅の展示会で見たきりのB.B.BASEだったが、ちゃんとサイクリング客を乗せて活躍していた。

浜金谷駅駅舎

浜金谷駅の駅舎。

内房線に来たあずさ号

ここから手持ち写真の関係上、ここからちょくちょく白黒写真が登場します。写真は1989年に内房線内を走っていた松本と館山を結ぶあずさ号。夏季限定の運転だったが、直通利用客がどれだけいたかは謎だ。

鋸山ロープウェイ

浜金谷から1キロくらいの所にある、鋸山に上るロープウェイ乗り場。

金谷港と東京湾フェリー

東京湾を横断し、浜金谷と久里浜を結ぶフェリー。

保田から浜金谷へ移動中の車窓から見た東京湾に沈む夕日

保田

ほた

対向列車待ちのために停車中の列車を撮影。

保田駅駅舎とホーム。

車窓からを眺めることができた。

安房勝山

あわかつやま

ホーム片面・1線のみの駅。かつてはほかの駅と同様に2番線まであったと思われるが、駅舎に近い方の線路が撤去されており、ホームから階段を降りてまっすぐ駅舎に行ける構造になっていた。

お座敷列車の展望席よりみた安房勝山駅。まっすぐなホームの片側は防護柵が続いている。

岩井

いわい

お隣の冨浦駅と同様、南房総市に所属する。

富浦

とみうら

2つ突き出た形の屋根が特徴的な駅舎。1995年に建て替えられたらしい。

那古船形

なこふなかた

ここから館山市。駅前から館山市街地や館山駅を結ぶバスも出ている。

平久里川

那古船形と館山の間で渡る川。

館山駅到着の手前で車両基地を通過。この時は折り返しのお座敷臨時列車の「ゆう」が待機していた。

車両基地からの引き込み線が合流し(写真手前)、再度線路が分岐するとまもなく館山。

館山

たてやま

館山市の中心駅。ここから市内バスや南房総への観光路線バスが発車する。特急さざなみ号の終点の駅であったが、今は定期の特急列車も特別快速列車も無くなってしまい寂しい限り。

下車 館山市街へ

それでも行楽シーズンには臨時列車が何本か設定される。写真は2017年に運行されたお座敷列車の「ゆう」。

改札口を出たところにあった。館山駅開業100周年を記念するパネル。100年前の開業時から25年くらいは安房北条という名前の駅だった。

同じく館山駅に展示されていた「戦翼のシグルドリーヴァ」というアニメーションのパネル。海上自衛隊館山航空基地をモデルにした館山基地が舞台のアニメらしい。

館山駅駅舎

館山駅の駅舎。小写真は駅舎にあったバルコニーに出て眺めた館山駅前の風景。駅前通りをまっすぐ進んだ突き当りに海がある。

1989年の館山駅

1898年、夏真っ盛りの頃に訪れた館山駅駅舎。この頃は内房線には夏の海水浴客輸送向け特別ダイヤ「夏ダイヤ」というものがあった。

快速青い海号

夏ダイヤが存在していたころに走っていた快速青い海号。木更津からほぼ各駅停車だったが、ヘッドマークも誇らしげに館山まで延長運転を行っていた。

館山を後にして房総半島先端付近を走る区間へ。ここから安房鴨川までは内房線の中でも最も本数の少ない普通列車だけの走る区間になる。

九重

ここのえ

長らく沿っていた東京湾から離れ、山と田畑に囲まれた中にある駅。

ほぼ待合室しかないような九重駅の駅舎。でもSuicaは利用可能。

千倉

ちくら

かつては特急列車がここまで来ていた時代もあったが、今は普通列車のみがやってくる。ここから路線は外房の海に沿って北上するが、路線名はあくまでも内房線。

千倉駅ホーム。かつては特急も停まっていた街の中心部にある駅だけに、周りよりは駅の構えが立派。

千歳

ちとせ

北海道にも同名の駅があるが、こちらはホーム1本だけの駅。列車本数が少ない館山から安房鴨川までの間においても、上下列車の交換が出来ない駅はここだけだった。

南三原

みなみはら

対向列車と交換。漢字からだと「みなみみはら」と読みそうだが「み」が一つ少ないのが正しい読み。外・内房線が分かれる蘇我から、この駅と隣の和田浦辺りがほぼ中間地点にあたるそうで。

和田浦と南三原の間で、外房の海が間近に見える。

和田浦

わだうら

ここからは距離的には蘇我から外房線を回った方が近くなる。かつて外房線周りで安房鴨川を越えてここまで走っていた臨時列車があったような。

無人ではあるが最近できたらしい立派な駅舎が建っていた。

江見

えみ

素朴なローカル駅という雰囲気だが、この駅のそばに13階建てのマンションがあった。

1989年に訪れた江見駅。事情により白黒写真。13階建てのマンションはこの時に既に立っていた。駅舎は今は郵便局と同居した建物に代わっているようだ。

海が間近に迫る区間を行く。

太海

ふとみ

終点安房鴨川駅の一つ隣。この辺りはもう安房鴨川方面から乗ってくる乗客の方が多そう。

加茂川を渡る

安房鴨川の手前で渡る川。鴨川ではなく「加茂川」なのがポイント。

安房鴨川

あわかもがわ

内房線・外房線の終点。ではあるが駅の両側へ両線の単線が延びているので、2つの路線の終着駅というよりは中間駅としか思えない。長い間列車の運転もこの駅で内房線・外房線にきっちり分かれていたが、2021年のダイヤ改正より、木更津から当駅を抜けて上総一ノ宮まで直通運転するワンマン列車が走るようになった。

乗換(JR) 外房線
乗換(バス) バスで鴨川シーワールドへ

こちらが内房線。千倉・館山方面に続いている。

安房鴨川駅駅舎

海側に出口のある安房鴨川駅。山側にあるショッピングセンターへはすぐそばにある陸橋を渡っていく。

1989年の安房鴨川駅

1989年訪問当時の安房鴨川駅駅舎。






【八幡宿駅の駅舎改築】

正確な日時は不明だが、完成する前のまだ骨組みだった新駅舎。建物の形はなんとなくわかる状態。

そして駅舎が切り替わる前日。たまたま仕事で帰りが遅くなって内房線の終電での帰宅だったので、最後のお客を出迎える旧駅舎を写真に収めた。

旧駅舎につながる跨線橋。この日までは駅の西側にしか駅舎と出口がなく、東側に住んでいても一旦駅の西側に出て近所の踏切を渡って帰る必要があった。

最終営業日の深夜の旧駅舎。この日まで八幡宿駅は自動改札口がなく、翌日の新駅舎の開業と同時に改札口も自動化された。

そして新駅舎開業日当日、千葉信用金庫のビルの前にはジェフ市原(当時)の大きなチームフラッグが掲げられていた。

旧駅舎の前のスペースを利用して行われていた新駅舎開業を祝う祭り。

お祭りが行われている広場の背後には閉鎖された旧駅舎が。新駅舎が開業した後もしばらく残されていたが、やがて跨線橋ともども取り壊されて跡形もなくなった。

新駅舎のコンコースにあるギャラリー。当時はジェフ市原の地元ということもさることながら、W杯の開催地決定前で、千葉に決まったときには八幡宿駅が最寄りとなるスタジアムが建設される予定だったので、サッカー熱がずいぶん高かったのだ。

改めて役目を終えた旧駅舎の写真。

そして旧駅舎と繋がる跨線橋への階段。役目を終えて入り口が封鎖されていた。

新駅舎と旧駅舎、そして両方の跨線橋が写る、今となっては貴重な写真。

そして広場ではジェフの選手を3人招いて開業記念イベントが行われていた。市原臨海競技場の最寄り駅は隣の五井だったので、あんまりジェフの選手には馴染みのない駅なんだけどね。

トークショーの後、ケーキカットが行われた。「JEF市原 Jリーグ優勝祈願」の文字が見える。


内房線 JR東日本