新潟交通線跡を行く(月潟-燕編)

廃線跡:月潟-燕

1993年に一足先に廃止になった新潟交通の月潟-燕間は1998年の訪問当時にほぼ全線にわたって廃線跡が残されてました。物好きな事にこの区間を2度ほど訪れています。その時の写真をご紹介。

↓以下の全ての写真は、クリックすると拡大して見ることが出来ます。
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新潟交通線跡を行く(月潟-燕)

月潟駅終端から続く廃線跡

月潟駅で途切れた線路の先も続いている築堤。ここから燕まで、廃線跡が続いている。

移動 新潟交通月潟駅(1999年廃止)へ

小さな川にかかる鉄橋がそのまま残されている。

六分駅跡
ろくぶ

最初に訪れた六分駅は住宅地造成の真っ最中。駅はほとんど原形をとどめていなかった。

新飯田駅跡
にいだ

次に訪れた新飯田駅は草生した中でホームが健在だった。

小中川駅跡
こなかがわ

こちらはさらにはっきりと路盤とホームが残っていた。遠くに見える高架橋は上越新幹線

小川にかかる小さな鉄橋が線路ごと残っていた。

新幹線の高架線をくぐる辺りで架線柱が何本か残されている。

高架線の真下には、小さな鉄橋があった。

引込み線があったと思われる場所にも鉄橋が残されている。

田んぼの中をまっすぐと延びていく築堤。右側にさりげなく勾配標が残されている。

昔の新潟鉄道の写真

小学生の時に友達からもらった写真。今となっては誰から貰ったのかも良く覚えていないが^^;、背後の高架橋と駅の位置から察するに小中川駅ではないかと思うのだが。親戚も関東近辺にしかいない小学生当時の私にとっては、別世界のような写真だった。

灰方駅跡
はいかた

灰方駅へのアプローチ部分。手前側に相対式のホームが広がっている。

相対式のホームがそのまま残っていた旧灰方駅。ホームや構内の広さから比較的大きな駅だった事が推測出来る。付近は駅前の雰囲気を残していた。

燕駅跡
つばめ

燕駅近辺のJR線が見えて来る辺りは路線跡が舗装道路に姿を変えていた。新潟交通の燕駅は更地になっていた。

移動 弥彦線燕駅へ



新潟交通線跡を行く