八戸線の久慈と宮古の間、70キロあまり道のりを三陸海岸沿いに結ぶ路線。国鉄として部分開業した区間と工事が進んでいた区間を引き取って、1984年に開業しました。開業当時、三陸鉄道の路線は間に山田線を挟んで北と南に分かれていました。
このページの写真は、東日本大震災前のものです。
リアス線 宮古-久慈 71.0km |
久慈くじ北側は久慈でJR八戸線と接続。南側に進む三陸鉄道のホームがJRよりも北側にあるというちょっと変わった配置。南北リアス線を全部乗っても割引きになりそうな切符は見当たらなかったのだが、2000円の回数券を買って全部使うと200円ほどお得になるので購入。改札口がある駅では回数券を使うことを申告すれば良いらしい。なお、久慈を発車する列車はJR八戸線も三陸鉄道もどちらも上り列車。
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三陸鉄道の車庫久慈駅に併設されている車庫。同じ顔をした車両が何両も休んでいた。 |
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と思ったら1編成だけちょっと変わったレトロ調車両の姿が。 |
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不思議の国の北リアス三陸鉄道ホームへの階段に掲げられていたキャッチフレーズ。駄洒落のコピーが素敵。 |
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久慈駅駅舎JRの駅舎とは別に、小ぢんまりとした駅舎を構えていた。 |
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陸中宇部りくちゅううべ |
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陸中野田りくちゅうのだ |
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十府ヶ浦海岸とふがうらかいがん |
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野田玉川のだたまがわ久慈から海を離れて走っていた列車は、陸中野田あたりでまた海岸線に出る。次の野田玉川駅も海がすぐそばに見えるところに駅を構えていた。 |
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野田玉川駅のホーム。 |
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野田玉川駅を発車して車窓から見える玉川漁港。この後列車はトンネルの中へ。 |
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堀内ほりない |
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白井海岸しらいかいがんトンネルに挟まれた所に位置する駅。ホームは単線上に片面のみ。 |
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普代ふだい三陸鉄道開業前までは国鉄久慈線の終着駅だった駅。まばらだった乗客全員が降りてしまい、車内一人きり残されてしまった。この先は三陸鉄道開業時に開通した区間となり、トンネルもより一層多くなる。 |
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駅名標一駅ごとにキャッチフレーズがつけられている三陸鉄道各駅。普代駅ははまゆり咲く普代。 |
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対向列車到着三陸鉄道開業後は途中駅となった普代駅。しばらく待たされていたら対向列車がやって来た。 |
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田野畑たのはた普代から三陸鉄道開業時の開通区間に差し掛かり最初の停車駅。カンパネルラ田野畑。カンパネルラは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に登場する人物に由来している。 |
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そしてカンパネルラ田野畑駅を出発し、列車は先へ進む。 |
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島腰しまのこし島式のホームを構える。 |
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岩泉小本いわいずみおもと |
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摂待せったい読みから「接待」とか書いてしまいそうな名前の駅。この付近の地名が宮古市田老字摂待とのこと。 |
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駅のキャッチフレーズは旅の八郎摂待。 |
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新田老しんたろう |
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田老たろう |
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佐羽根さばね |
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一の渡いちのわたり田老からは再び一度は国鉄(宮古線)として開業した区間に差しかかる。ここ一の渡はトンネルに挟まれた場所に駅を構えていた。 |
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駅前の街を見下ろしながら駅を発車。 |
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山口団地やまぐちだんち |
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宮古みやこJR山田線と合流し、やや広めの駅構内の一角にホームを構える。旧・北リアス線の区間がここで終わり、ここから釜石へはJR山田線から移譲された区間に差し掛かる。
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宮古駅駅舎久慈駅同様、宮古駅もJRとは別に三陸鉄道独自の駅舎を構えていた。 |
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