球磨川に沿って渓谷を眺めながら南下する人吉までの区間と、ループ線とスイッチバックを通り矢岳越えをする吉松までの区間、そして山間部と農村を走る隼人までの区間に分かれる路線です。人吉まではSLが、矢岳越えの区間では展望トロッコ列車の「いさぶろう」「しんぺい」が走っています。
肥薩線 八代-隼人 124.2km |
八代やつしろ肥薩線の起点。鹿児島本線の方はここから先の区間は肥薩おれんじ鉄道となり、八代から南下するJRの在来線は肥薩線だけとなった。
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段だん |
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坂本さかもと |
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葉木はき |
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鎌瀬かませ |
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瀬戸石せといし |
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海路かいじ |
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吉尾よしお |
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白石しろいし |
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球泉洞きゅうせんどう1988年3月に「大坂間」から駅名を改称。駅名の球泉洞へは駅から徒歩20分、球磨川を隔てて対岸を歩いていき、国道 219号線に合流するあたりにある。改名時に併せて駅舎も改築したようで、無人駅ながら立派な駅舎を携えていた。球泉洞訪問の写真はこちらにて。 |
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球泉洞駅付近の球磨川に架かる橋から撮影した球磨川と球泉洞駅付近の様子。写真の左手にある建物群の、一番大きな屋根の建物の右隣にある半円状の屋根の建物が球泉洞駅の駅舎。 |
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一勝地いっしょうち「一勝」という縁起の良い名前のため、他の駅でも入場券が売られていた駅。この入場券も一勝地ではなく人吉駅で購入。 |
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那良口ならぐち |
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球磨川を渡る球磨川下りの船から撮影した鉄橋を渡る列車。球磨川下りの写真についてはこちらにて。 |
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渡わたり |
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西人吉にしひとよし |
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人吉ひとよし八代からの列車のほとんどはこの駅止まり。ここから先の矢岳越えは日本三大展望と呼ばれる風光明媚な場所だが人の往来が少ない区間のために列車本数は極端に少なくなる。
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人吉駅駅舎夕暮れ時の人吉駅駅舎。この日は駅前のビジネスホテルに1泊した。 |
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大畑おこばここから吉松までの各駅は、トロッコ車両付きの観光列車「いさぶろう」に乗って訪問した時の写真。超過疎地帯のため列車のダイヤがぽっかりと空いてしまった時間帯を使って走る観光列車に乗って移動した。周りのお客が持っていたのは人吉-吉松間の往復乗車券で、この区間を「観光路線」として利用している人ばかり。そして列車はゆっくりと矢岳越えを始め、最初の停車駅のスイッチバックとループ線を備えた大畑に到着。駅の周りには人家や電灯らしき物が全然見当らず、こんな所に1人で夜降りたら恐いだろうなとふと思う。もちろん無人駅だった。 |
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大畑駅を発車し、スイッチバックを進んだり戻ったりした後に、再びループ線を回って矢岳越えを続ける。 |
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同じくスイッチバック走行中の列車より。この後大畑駅が眼下に見える場所で一旦停車のサービスがあった。駅が見えるように近辺の草が刈り取られ、ループ区間を示す碑まで立っていた。 |
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矢岳やたけ観光列車はここで5分ほどの停車サービス。その間に駅の近所に静態保存されている蒸気機関車の展示を見に行く。 |
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ホームに停車中のトロッコ車両を撮影。 |
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矢岳駅駅舎停車時間中に撮影した矢岳駅駅舎。ここも駅周辺は家が見当たらず寂しさが漂う。 |
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蒸気機関車を見学観光列車を一旦降り、機関車が展示されている建物に向かう人々。 |
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そして駅に隣接する建物の中で展示されていた蒸気機関車D51。停車時間中にみんなこの上記機関車を見て帰ってきた。 |
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矢岳越え最大のビュースポット(涙)矢岳越え最大のビュースポット。だったはずだったが、折からの悪天候で一面の霧。一応列車は一旦停車したので写真撮影もしておいた。この後雨も降りだしてきたので、窓の無いトロッコ車両から一般車両に避難した。 |
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真幸まさき真幸駅もスイッチバック式の駅。やや高いところからホームを見降ろしつつ一旦駅の前を通り過ぎ、折り返してホームに到着する。 |
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一旦駅を通り過ぎて、引き上げ線に入る。 |
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スイッチバックしてホームに入る列車から撮影。 |
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吉松よしまつ矢岳越えをしたトロッコ列車の終点。ここから隼人までが肥薩線の中では一番乗客の多い区間となる。都城方面とを結ぶ吉都線が分岐している。
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栗野あわの |
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大隅横川おおすみよこがわ |
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植村うえむら |
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霧島温泉きりしまおんせん |
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嘉例川かれいがわ |
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中福良なかふくら |
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表木山ひょうきやま |
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日当山ひなたやま |
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隼人はやと日豊本線との接続駅であり肥薩線の終点。歴史を紐解けばかつては肥薩線が鹿児島本線のルートの一部であり、川内経由の路線が開業して鹿児島本線となってからは八代から隼人を経由して鹿児島までが肥薩線となった。隼人から先が日豊本線となったのは1932年のこと。
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人吉の街中を球磨川に向かって歩いていくと、「くま川下り乗船場」という大きな看板が目に留まったので、そこへ向かって歩き到着。観光センターの建物の中で乗船券を買って待合室で出発時刻を待った。そして2隻の船に分乗して出発。この時3月だったので防寒のため使い捨て懐炉が配られた。
川下り出発。まずは穏やかな川下りが始まる。「瀬」と言っても水が音を立てて流れている程度のものばかり。気温がまだ低いので、使い捨て懐炉を握りしめながら周りの景色を眺めていた。
球磨川沿いに点々と存在する旅館・ホテルの一つ、翠嵐楼に差し掛かったとき、船頭さんが「翠嵐楼に宿泊された方はおりませんか?」と尋ねてきて、しかも建物からは「蛍の光」のメロディーが流れてきた。何事かと思ったら、建物から従業員が川縁に駆け降りてきて「ありがとうございました またのおこしを」という文字が書かれた横断幕を広げ旗を振る。予想外の出来事に乗り合わせた人たちがみんな感心していた。
球磨川沿いに通っている肥薩線の列車。割と運転本数が多い時間帯で列車が通過していくのが船から何回か見えた。
球磨川下りの後半に入り、流れも速くなり何度も急な瀬を通り過ぎるようになる。ただしこの時は水量が少なく、出発前に待合室のビデオで流していたほどのスリルは無かった。
流れの急な所を通り過ぎる。
再び船から見えた肥薩線の列車。
川下りの終点、球泉洞が東方に見えてきた。
川下り最後の瀬「槍倒の瀬」。ちなみに人吉から出発して途中休憩を挟み、球泉洞の下船場に着くまで所要時間は2時間半ほどだった。
球磨川の川下りをした後に訪れた球泉洞。入口まではリフトに乗っていき。森林館とセットになっている入場券を買い中に入る。1周1時間もかからない小規模な鍾乳洞で、所々ライトアップされている鍾乳石に見入っていた。地下水があちこちから湧き出しているようで、それが川になって鍾乳洞の中を流れていた。
球泉洞の中にて。この辺りが一番奥の場所。
球泉洞の中にて。
球泉洞に併設の森林館の前に保存されていた森林鉄道の機関車。