JR東日本 

五日市線

拝島-武蔵五日市

 11.1km)

青梅線の拝島より分岐し、武蔵五日市までの10㎞あまりを結ぶ路線です。青梅線や中央線と同じくE233系が活躍しています。かつては武蔵五日市からさらに先の武蔵岩井という所までを結んでいた路線もありました。1987年にその廃線跡を訪れた時の写真も含めてのご紹介です。

↓以下の全ての写真は、クリックすると拡大して見ることが出来ます。
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五日市線 拝島-武蔵五日市 11.1km

拝島

はいじま 【JC55】

五日市線の起点。一番西側のホームより発車する。青梅線に乗り入れて立川で発着する列車も多い。

直通 青梅線
乗換(JR) 八高線(八王子-高麗川)
乗換(私鉄) 西武拝島線

熊川

くまがわ 【JC81】

青梅線から分岐して最初の停車駅。青梅線の線路から近いところにあり、牛浜駅とは900メートルくらいしか離れていない。

多摩川を渡る。

東秋留までの間に多摩川を渡る。

東秋留

ひがしあきる 【JC82】

多摩川を渡りあきる野市へ。ここから終点まではすべてあきる野市内の駅になる。上下列車交換可能駅で、上り立川行き列車が交換待ち。

秋川

あきがわ 【JC83】

1987年までは隣の東秋留に対して「西秋留」という駅名だったが、1987年に当時の市名・秋川に合わせて改称。その後合併により市の名前はあきる野市となって、かつての市の名前だけが残る形となっている。

武蔵引田

むさしひきだ 【JC84】

ここから終点まで、「武蔵」がつく駅が連続する。まっすぐなホーム1本の駅。

武蔵増戸

むさしますこ 【JC85】

対向式ホームを跨線橋でつなぐスタイル。上下線の外側にもう1線あるが、車両留置用らしい。

武蔵五日市駅が近づき、高架化された駅に向かって坂を登り始める線路。1996年に武蔵五日市駅が高架化されるまでは、左に分岐する方が武蔵五日市へと向かう本線で、坂を登る方はかつて武蔵岩井とを結んでいた廃線跡だった。

坂を登っていく路線。

そしてコンクリート橋を渡ると、終点の武蔵五日市に到着する。

武蔵五日市

むさしいつかいち 【JC86】

拝島から18分、立川からだと30分で終点の武蔵五日市に到着。高架化された駅は地上にあった頃の駅と比べて雰囲気が一変してしまった。

武蔵五日市のホームの様子。発車案内を見ると、青梅線の立川駅まで直通する列車が続く。

武蔵五日市駅舎

駅名の看板が大きいのが特徴的な武蔵五日市駅舎。

武蔵五日市駅から拝島方面に伸びる高架線。橋脚がひたすらアーチ形を描いているのが印象的。

1987年の武蔵五日市駅

時代は上の写真から30年ほどさかのぼり、列車は103系でホームは地平ホームだった時の武蔵五日市駅の様子。ホームから改札口に直結する構造になっていた。

今の駅からは想像がつかないほどローカル色が強い1987年当時の駅舎。

武蔵五日市-武蔵岩井の廃線跡

武蔵岩井への廃線跡

武蔵五日市の手前で武蔵岩井とを結んでいた路線が廃線跡となって分岐していた。かつて旅客列車は武蔵五日市の行き止まりのホームに一旦入った後、スイッチバックして武蔵岩井駅に向かい、貨物列車そのまま武蔵岩井方面に直通していたらしい。武蔵五日市の高架化の際にはこの廃線跡が再利用されている。

武蔵五日市へと向かう路線と分かれて高台をカーブしながら進む廃線跡。右下にあるのは武蔵五日市方面の線路。

廃線跡はその先、道路より低い掘割を進んでいく。

大久野駅跡
おおぐの

単線幅の道から急に開けた場所に出ると、廃線区間唯一の途中駅の大久野に到着。当時の駅のものと思われる建造物の姿があった。

広々とした空間が当時の大久野駅構内を想像させていた。駅構内が広かったのはひとえに貨物輸送のおかげと思われる。

大久野駅跡を通り過ぎると、廃線跡はまた単線幅に戻る。当時は駅方面を振り返ると、まだ25kmの速度制限標が残っていた。

途中で旅客と別れた先の貨物専用線だったと思われる区間の廃線跡。

武蔵岩井駅跡
むさしいわい

当時の廃線跡探訪では場所を特定するのに苦労した旧武蔵岩井駅。駅は駐輪場に姿を変えていた。

当時のホームと思われる場所の様子。




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